静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

東名ハイウェイバスで行く「リニア・鉄道館」(2)


 昨日の続きになる訳なのです。今日も写真が多くなるので、折り返しておきます。

 名古屋駅からはあおなみ線に乗って終点の金城ふ頭駅まで。あおなみ線を待つ間に眺めた名古屋駅に入ってくる電車は普段静岡でも見慣れている313系や211系なのですが、窓が小さかったりとか種別の文字の所が青かったりすることもあり、やっぱりここは同じJR東海であっても「何か違うなぁ」と言う事で違和感を感じずには居られませんでした。編成も6両固定とか。
 そこらへんは別として、今回初めて「まともに」あおなみ線を乗ったのですが、まさか金城ふ頭まで約30分もかかるとは全く思っておりませんでした。もう少し近いのかなぁと思っていたのですが、金城ふ頭駅に入る前に名港トリトンの姿を拝む事ができたのは「え?そんなに遠いの?」と思ってしまったのは言う間でもありません。名古屋は年に1回程度しか行かないので地理感覚は全く分かりません。おまけに、「名港トリトン」と言うと「東海道昼特急」とか「京都大阪ライナー」と言う高速バスがすぐ頭に浮かんでくる程度のバス好きでございます。到着すると奥の駐車場には何台も観光バスが止まっていたりとかしましたので、名古屋の新しい「観光名所」としてのポジションを既に築いているものかと思うところです。

出発前に静岡駅でチャージしておいたtoica定期券で入場券を購入し、まずはエントランスホールへ。C62、300X、リニアと言うことで「東海道の高速化の歩み」を象徴するような展示が。2階には大宮の鉄道博物館からやってきた国鉄バス1号車が鎮座してますが、あくまでここは「リニア・鉄道館」でございますので国鉄バスやJR東海バスの関係の展示は一切ありません(苦笑)。リニアの車内を軽く見てから展示ホールに向かいますが・・・

 ごめんなさい、300系量産編成・300系試作編成・100系量産先行編成・0系の並びを見てかなりテンションが上がってきてしてしまったのはお約束です。と言うか、ここに置いてある新幹線の車両にはリアルで乗務した事がありますので(車内販売のアルバイトですが)。お陰様で新幹線分を久々に摂取してきたのは言う間でもありません。


 同じ300系ですが、左側が試作編成、右側が量産編成の車内です。何回も300系には乗務しましたが、試作編成(以下、J1編成と書きます)にはたった1度しか当たった事がありません。確か新大阪→博多(泊)→名古屋→新大阪と言う変行路だと思いますが、名古屋から乗務したら300系とは言えども何か車内が「あれ?何か違くね?」と感じ、デッキ部分にある車両番号を見たらJ1編成と言う事が判明したと言う次第です。ドア上の蛍光灯がルーバーっぽいようになっていましたし、車内の化粧板も少し違っている訳で、その時の事を懐かしく思ったりしたのは言う間でもありません。
 バイトの頃は300系と言うと乗務する側も「緊張」して乗務をしたのですが、今では既に「こだま」号でもなかなか乗る機会も少なくなっており、機会を見つけてあんまりうるさくならないウチに乗っておかなくちゃ・・・と思うところだったりします。15号車の車販準備室で必死にコーヒーを作ったりとか、のぞみ27号(当時の最終博多行のぞみ)の西日本区間で何故かサービスコーナーを担当したりとか(普通は女性社員が担当します)、台風で遅れまくったのぞみ29号(当時の最終広島行のぞみ)の西日本区間を乗務し、広島折返し2時間で広島の車両基地まで入ってから翌朝ののぞみ2号(当時の始発広島行のぞみ)の西日本区間を徹夜明けのテンションが高いまま乗務したりとか、色んなことを思い出したのは言う間でもありません。
 何、どこの誰だか特定できそうだって?正体が分かった方はコメ(ry

そして、X1編成の食堂車。
当時所属していた区所の中でも自分は泊まり行路をメインにして乗務していたのですが、時には何をトチ狂ってか昼間の列車にも乗務した事がありました。そんな行路の中で良く乗らされた列車が広島営業所担当X編成(100系の食堂車付き編成)だったりしました。正直広島の列車は仕事的にはなかなか厳しかったのですが(基本的にはワゴンではなく、お土産などの単品を売ってました)、厳しいながらも「賄いにかきフライ作ったから食べろ」とか言う事もあったり、「また乗って来てね」と言う事もあったりとか、結構色々な想い出があります。また、博多営業所担当の列車にも乗った事があり(博多の場合はワゴンだったと思う)、そんな中で数は少ないながらもX編成にも乗務した事がありました。なかなか食堂車の中に入る事はありませんでしたが、東京到着直前に品川当たりの景色を見ながら食べた賄いの弁当に揚げたてのかきフライ、美味しかったです。

0系の食堂車。
バイトを始めた頃のばかりは当然0系もあり、朝の岡山行始発が0系だった事もあり何回となく乗務しました。車内販売は9号車のビュッフェを基地にして販売をしていましたので、この食堂車の狭い通路を通って自由席方面のワゴンを押したことも数えきれず。そして、途中でコーヒーが無くなってしまい何度となくビュッフェに補給に戻ったりとかした事もあり、この通路は見ているだけで本当に色んな事を思い出させてくれます。
当時はビュッフェ・食堂車があったので、積み込みのサンドイッチが無くなるとコックさんが車内で作っていました。同じ大きさのケースの中に入ってはいるのですが、積み込みのものと比べると重さが明らかに違う事を覚えています。なかなか最初の頃は数を読めなかったのですが、3ヶ月もすると同じ列車ばかり乗っていたので大体の数字を読めるようになり、どんぴしゃで売れるとやっぱり嬉しかったですね。ええ。後は、この食堂車が付いている「ひかり」の場合には社員さんが賄いの朝食を作ってくれました。時には玉子雑炊、時にはフレンチトースト、時にはサンドイッチでもホットサンドであったりとか、食堂車があったからこそのメニューだったりしました。とはいえ、食べる場所はビュッフェの裏の方で立って・・・と言うのは仕方ない話ですが。

どれももう20年近く前の古い話です(完全におっさんですね)。
今となっては100系は既に東海道新幹線からは撤退し、山陽新幹線も今年度一杯。300系も同じような状況です。その間に「新幹線」が持つ役割も変わってきたと言うのは仕方ない話ですし、食堂車も無くなったのはその流れの中で仕方無い話かもしれません。自分が新幹線の食堂車で一番最後に食事をしたのは700系「のぞみ」の一番列車に乗って、当時勤めていた会社へ午後から出勤のために新大阪から乗った「グランドひかり」の中でした。確かメニューはハンバーグのセットだと思いましたが。値段は市中のレストランと比べると高めでしたが、流れる車窓を眺めながらの食事はまた格別なものでした。恐らくこれから先、余程の事が無い限り「新幹線の食堂車」なんてものは復活しないでしょう。幸いにして一番最後の頃を知っているだけに、この「食堂車の展示」にあの頃を思い出して「懐かしい・・・」と感じたのが最大のところです。
あと、0系のビュッフェ車とグリーン車も保存されていますが、残念ながら車内には入る事が出来ません。「こだま」の0系の乗務経験もあるだけに、個人的にはそっちの方も機会を見つけて展示してくれればもっとみなぎる事が出来たんですけどね。

あと、見つけたこんな面白いもの。

館内の休憩用の椅子には300系グリーン車の椅子が使用されていました。当然座ったのは言う間でもありません。また、右側の食器は「貴賓接遇用食器」とあり、当時のSPSのマークが入っていました。ひょっとしたら300系グリーン車で使用されたのでしょうか。気になるところです。

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 この「リニア・鉄道館」ですが、大宮の「鉄道博物館」を想像して行くと肩すかしを喰らうと思います。基本的には「車両展示施設」と思って気楽に行くのが案外いいのかもしれません。ですが、そこに展示してあるのは「東海道新幹線」の車両です。東海道山陽新幹線の沿線に住んでいる方ならば「新幹線」に纏わる色んなエピソードを持っているかもしれません。そんなエピソードを話しながら誰かと一緒に出かける、と言うことができるのが案外いいのかなと思います。そんな意味で、機会があれば今度は誰かと出かけたいなぁと思うのですが・・・さて、誰か居るのかいな(と自爆しておくか)。

【おまけ】
 あおなみ線、と言えば高速バスクラスターの方には欠かすことの出来無い施設が沿線にあります。

 JR東海バス名古屋営業所。名古屋方面行の小本駅付近の進行方向左側に見る事ができます。流石に昼間は出先休憩の他社の車両がメインになってしまいますが、「こんな所にあったのか」と思うところですね。それこそ、回送便でいいから「リニア・鉄道館」行の便を出してくれれば喜んで乗るのですけどね(って言うのは一部の好事家だけか)。