静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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-仙台「絆」紀行(3)新宿駅新南口→仙台駅東口/JRバス東北 仙台・新宿3号-


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地図が些か縦長になってしまったのは申し訳ない。
とは言え、今となってみてみると「こんなに長い距離を走ったのか!」と思う。普段は静岡〜東京間と言う距離にすれば200kmも無いような区間を走る高速バスに乗っている人間から見れば十分に長い距離である。

今回の行程を考える時、一つのキーになったのはJRバス東北の「仙台・新宿線」の存在であった。
東日本大震災前から運賃は高速ツアーバスや東北急行との競合で安くなっていたことや、一部の便には東名ルートではなかなか見ることのできない「ハイデッカー3列車」を運行している、と言う事もあった。また、同じJRバスでもJRバス関東JR東海バス西日本JRバスは静岡でも見る事ができるのだが、JRバス東北新宿駅で見るだけしか無かったと言うのもあって、震災前からは「一度東北道の昼便を体験してみたい」と言うことを考えていた。

そして、3月11日の東日本大震災
4月に入ってから。運行を休止していた東北新幹線に代わって東京仙台間の「重要な足」になったこのバスを代々木で見かけた。

地震の前とは変わらない「当たり前の姿」なのかもしれない。だが、その「当たり前の姿」に「力強さ」を感じてやまなかった。そして、「落ち着いたら東北に行く!」と言うことを改めて決意したときであった。



8月7日、新宿駅新南口(代々木)バスターミナル。
この日の「仙台・新宿3号」はJRバス東北仙台支店のH671-05401号車。社番を見て分かる通りにいすゞガーラ、3列シートと言う車両である。しずてつでは西久保3006号車と同じ世代の車両であり、今の最新型であるガーラと比べると古さは少し否めないがそれでも夜行便向け「3列シート」となっており、長距離を乗る分には快適な車両である。今回は旅行会社勤務の友人に切符の手配を依頼し、「展望席」を確保することができた。この座席で仙台までの5時間30分を楽しむことになる。



仙台・新宿号は、新宿を出発すると山手通りを池袋方面へ向けて走っていく。普段乗っている「駿府ライナー」は甲州街道に入って初台まで抜けることになるだけに、やはり自分にとっては都バスの車内から何度も眺めているとは言え新鮮な風景である。各地から新宿を目指す各社の高速バス、そして、池袋から関越道方面に向かう各社の高速バスと離合しながら走っていく様子は見ていて飽きない。窓に流れる都会の風景をゆったりと座って眺めるのも、また高速バスの楽しみの一つなのかと思う。



池袋を抜けると西巣鴨の交差点から王子へ向かう。考えてみれば新宿から王子までの間では2箇所で都電と並走する区間があるが、今回は残念ながら並走するチャンスに恵まれなかった。この「仙台・新宿号」は池袋・王子での客扱いは無いものの、新宿行の場合には降車扱いをするために一般道を走っていく。その関係で首都高速には中央環状王子線の王子北ランプから入り、江北JCTから川口線、そして東北自動車道へと入っていく。首都高速でも各社の高速バスと離合を繰り返す事になり、「高速バス」が地方にとっての重要な交通機関であることを改めて認識させられる事になるのは言うまでもない。
そして、今回の旅では3つ目の埼玉県に入り、首都高速から東北自動車道へと入る。



考えてみれば、東北自動車道を走ったことはそこそこあるような気がしないでもない。以前盛岡へ行くときに乗った「ドリーム盛岡号」にしてもそうだし、大学校での実習先が栃木県内だった事もあったので、実習先に向かうときにも走った事がある。そして、上り便になるものの、今は無き「わたらせ号」で佐野からも走った事はあるし、白棚線に乗りに行った時の「ドリーム郡山・福島号」と「あぶくま号」。さらに前には塩釜港からフェリーに乗るために乗った東北急行の夜行便もあった。今から考え直すと結構あったんだなぁと思うが、残念ながらデータとして残していないのが残念な所である。そんな記憶を車窓を見ていると思いだした。両側に広がる平野の風景、東名高速ではなかなか見る事のできない風景。
そして、約1時間30分程走った所で埼玉県は羽生PAで10分間の休憩。そう言えば実習先に向かうときもこの羽生で休憩したなぁ、と言うことを思い出す。



羽生PAでの休憩を、トイレと一服だけで費やし、適当に外で伸びをしているとあっと言う間に出発時刻。
この羽生PAはほぼ埼玉県の端っこにあり、数分も走るとすぐに特徴的な渡良瀬川橋を通って群馬県に入る。別にグンマーな方々の手荒い歓迎を受けるわけではありませんが(謎)。ここまで東北道は平坦なところを走ってきたが、群馬県に入ると右に左にカーブをしだし、更には軽いながらもアップダウンがつき始める。そして、そんな光景の中を3車線の道路が走っていくのは、東名とはまた違った「重要な役目を持った」高速道路であると言うのを感じずにはいられない光景なのかもしれない。



東北道での群馬県区間は本当に短い。気がつけば今度は栃木県に入っていく。
山岳区間を抜けると宇都宮の町並みを遠くに望む区間を走る事になるが、その宇都宮インターを抜けると3車線から2車線に車線数は少なくなる。東名高速で言う所の御殿場インター的な雰囲気だろうか。その2車線になってから再び緩やかに高度を上げ、車窓の風景も山間を走るのどかなものに変わる。相変わらず道路は右に左にカーブをしながら。気がつけば那須高原SAに到着。ここでも10分休憩。

はじめはここで何か弁当でも買ってお昼ごはんにしようと思ったのだが・・・夏休みの日曜日と言う事もあり、コーヒー牛乳とマドレーヌでお昼ごはんと言う何ともいえないものになった(´・ω・`)ショボーン。山陽道昼特急博多号だと、サービスエリアの休憩もそこそこ時間があって、地元の美味しいものを買って車内で楽しむ時間もあったのだが。


この那須高原SAを出発すると、いよいよ福島県に入る。
西郷と言えば、「あぶくま号」の西郷バスストップや、何故か白棚線を思い出すのはバスヲタの悲しい性であるかもしれないが、今回初めて昼間に通過して実感できたのだが、「西郷バスストップ」と「県境」は本当に近い距離であったと言う事である。確かにこれならばJRバス関東の支店が福島県内にあってもおかしくはないと思うところである(本当は「いわき号」も乗ってみたい所ですよ)。

そして、何よりも「やはり地震が現実だったんだ」と思った幕が架道橋の上に出ていた。

NEXCOであなくJCと白河市西郷村の連名で出ていた横断幕。ここを通って被災地へと向かう多くの人々への感謝の意と、復興にかける決意を表明している。見ているだけで何か熱くなったのは言うまでもない。直接何かが出来るわけではないけど、少しでも何か「役立つ」ことが出来るような旅にしたい、そう思った一瞬であった。



そして、郡山で磐越道と交差して一路北へと走り続ける。
この付近は周囲を山で囲まれた盆地となっており、東北道はその山に沿ってある程度の高さの所まで高度を上げてから盆地に入るような道路になっている。その東北道の川口仙台南間で唯一のトンネルである「福島トンネル」に入る。長さは短いものの、約360km程の行程の中でトンネルがここしかない、と言うのも不思議な話である。そのトンネルを抜けると福島盆地。この付近では南東北の各地へ向かう高速バスなどと頻繁にすれ違うようになってくる。


そとを見ると急に暗くなり雨が降り出す。いわゆる「ゲリラ豪雨」であろうか。更に北に走っていくとその雲を抜けてしまい、窓の外には夏の太陽が再び顔をのぞかせる。そろそろ疲れてきたなぁ、と思う頃に最後の休憩場所である国見PA着。ここでも10分休憩。



国見PAを出るといよいよ宮城県に入る。
そう言えば研修に行っている間、一度だけ急用が出来て山形まで行くことになった。行きは時間的な関係もあったので新幹線で行ったものの、帰りは折角なので「ドリームさくらんぼ号」で帰ってきた。その時に眠れない車窓から眺めた星空の美しさが今でも残っているが、考えてみればその星空を見たのはこの宮城県内区間だった。確かに外を眺めると星あかりを遮るようなものは何も無いし、トラックの走っている数も少なかったような気がする。だけど、この日は本当にトラックが多く走っており、「復興への道」となっていることを痛感した。そして、この区間でも多数の高速バスとすれちがう。



15:37、遂に仙台南インターまでたどり着く。ここから先は長町駅東口を経由して仙台駅東口までの一般道。車窓を見る限りでは車も人も全く変わりないように見える。しかし、よく見てみるとところどころに地震の跡が見えてくる。相当大きかった事を痛感しながら仙台市内を走って行く。そして、「七夕祭り」真っ盛りな仙台駅東口に到着。


新宿駅から約5時間30分の長旅はここで終わった。東北道の東名とは違った光景、そして、夏の風景を眺める5時間30分は本当に短いものだった。