静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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そんな中で思ったこと。

で、色々と思っているのですが、今日の昼間にtwitterに書いたことを少し投げておくことにします。元々は昼間にiTunesにある楽曲の整理をしていた時にふと思ったことからの垂れ流し。
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一体何枚Vocaloid系のCD持ってるんだ、俺・・・。iTunesが大変な事になってるわ。

 そんな中で、「コンテンツ」としての「Vocaloid」を考えるときには、一旦「オワコン」したもの、換言すれば「共通認識」として考えた方が話は早いような気がする。何でかと言えば、「Toolとしては恐らく外せない存在」になってきたから、って言う部分。「Vocarock]って言うのが定着してきた段階でVocaloidって言うのは「キャラクター」と「ツール」として分かれた、って言う考え方しても構わないもんなんだろうか。そんな中で「楽曲」と言う観点から見ると、楽曲のみをJAZZへのアレンジも出始めてきた訳だし(実際にVocaloidに歌わせてない)、そんなCDは別にキャラで売ってるわけでなく、「楽曲そのもののアレンジ」が売りになっている。
 自分自身、何故ここまで「Vocaloid」と言うジャンルが気になっているのか言う事を考えると、多分「創り手の表情や想い」って言うのが見えるって言う所が魅力である、って言うところではないかと思う。

 一旦他の一般的な商品に考え方を拡張して考えてみる。
 コモディティ化している商品であっても、その競争を避けるために何らかの付加価値戦略を取ってるし。例えばトレーサビリティの強化とか、ブランディングとか。結局そこらへんのところが戦略として上手く回っているところが、商品として成功している。(食品関係は特に)
 恐らく今のCD屋さんで売ってる音楽もコモディティ化しているんじゃなかろうかと思う所。いや、確かに色んな部分で差別化しようとかしている部分は見えるのだけど、その影にある資本の存在と言うか資本の理論(今何かお台場方面でなんかやってるらしいけど)が強引なゆえに問題になってるのかも。
 現状を見ると、制作・拡散のツールが誰にでも(そりゃ一定のスキルが必要だけど)使いやすくなっているが故に「自分の好きなものを探す」って言う行為がしやすくなった、って言う技術的な背景が存在しているってことがまずあると思う。多分ここが一つ目のポイントになると思う所。その上で拡散のツールって言うのが「新たな情報インフラ」でもあるって言うところ。今まであれば雑誌やラジオ、テレビって言うメディアに頼らざるを得なかったのが(バズはあったと思うが)、今ではその情報インフラの上に広がるバズで広がっていくのがある世代から下には大きな影響を与えている所。

 だけど、色々なムーブメントを見てみると、結局は「自分らで1から生み出す」って言う事じゃなくって、「誰かが作った作品の上で踊っている」だけじゃん、って言う所もある。結局何だかんだ言いながら「1から何かを創りだす」って言うのは難しい話なのかもしれない。
 
 結局「何か」を置き忘れているって言うのが、今の趣味周りにしても企業周りにしてもあるって思う所。

コンプライアンス」なんて格好いいように見える言葉があるけど、これって「法令遵守」って言う言葉なんだけど、裏を返せば「法令を遵守していれば何でもやっていい」って言う余りに無責任な言葉にも解釈できるんだよね、実際のところは。いや、法令遵守は大事ですよ、最低限の事としては。余りに「深化が進みすぎた」が故の「商品設定」(曲の作り方から何から)が上手になりすぎて「もういいよ、お腹一杯だわ」って言うようなのが閉塞感を生んでるのかもしれない。
 要は「お客様」(とここでは書きますが)の姿が余りにもよく見えるがために、「マーケティング・マイオピア」が実は発生してしまっているのでは?って言う所では?と思うところなんだろうねぇ。
 結局、「こうすれば売れる」って言うのがどんな業界にも(企業だけじゃなくって趣味界でも)溢れているのだから、本当に「お客さん=聴き手」が何を欲しているのかが全くわからないって言うのが色んな部分に溢れているのでは?と思うところなわけで。
 それが故に「今の(商業で売っている)曲」と言うものが「お腹一杯」になって来ていると言うのが現状にあり、その部分を新たな形で補完できるようなものとしての「同人音楽」と言うかVocaloid界隈にある、って言うようなところになるのかなぁと。ただし、既にVocaloidと言うものはToolとして定着している傾向もある一定以下の年代層にはあるだけに、もっと他の部分との関連性を議論していく必要があるのかなぁと思うのが正直な所なんだよねぇ。
 あとは、企業と一緒で「古い年代の人」にどうやってこの感覚を共有してもらうのか、って言うのが最大の問題だと思う。それこそ昨日の話の中で「Beatlesと一緒」って言う論もあったけど、これはまさに同感。入ってきた頃は理解されなかった訳だし「エレキ=不良」の言うレッテル張りもあった。(決してそんな事はないんだけどねw。昨日出てきたクラブの話もそうだけど、「その人がどんなLife Historyを持っているのか」って言う所に左右されて来る話だから、それに対してどうこう言ったり、強制する権利は無いと思う)
 その「古い人達」に理解さえして貰える方向を考えること、これが最大の課題だと思うし、その課題を解決するにはやっぱり実績を創り上げる必要があるのかなぁ・・・って思うところ。「好き」一本じゃ絶対にできない、場合には「突き放して物事をみる」のも大事なんだよねぇ。
 結論としては「好き」であることも大事だけど、その「好き」って言う事をどうやって論理的に説明ができること、そのためには「好き」なものは色んな事象の one of them であると言うことを理解しておく事が必要、って言う所。

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 最終的にはいつも言ってる「そればっかり見ないで、他のものとの相対的な関係の中で見ないと、本当の良さなんてものは見えてこない」って言う部分の結論なんですが、twitterでのTLをつらつら眺めると、本当に「現象しか追いかけてない」って言うようなところがあるのが正直どうなのかな?と思う部分があるんですよね。
 確かに「ミク廃」を自称する自分ではありますが、どうも最近の話の方向性に違和感を感じるところがあって仕方ないんです。シーンを追いかけるのはそれはそれで楽しいですし、「あざといよLat式」(と言いながらあれは買ってないですがw)と言いながらニヨニヨしながらMMD動画を観るのは楽しいのですが・・・「ハードを活かすためのコンテンツ」と言う観点から考えると、もう少し深い議論が色んな所で必要なのかなぁ、と言う事を思っている所だったりします。
 
 まぁ、そんな部分の考察を発表する場と言うのがここしか無いので、ネットの極北でこっそりとやっているところなんですけどね。