静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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4日目/夕張に行ってみた(2)

だいぶ間が空いてしまいましたが、北海道奇行2011SPが終わってないうちに定期便の北海道奇行2011(定期)の切符の売出も近づいてくるので、続きを書くことにしましょう。

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 夕張のまちの中を歩き、少し離れた所にある「石炭の歴史村」まで足を伸ばしてみた。以前は観光客も来たようであるが、今では全く来ていないどころか、入口にある「夕張市石炭博物館」までは入る事ができるものの、その先は「廃墟」になっていた。その一方、まちの中心部にあるホテルと夕張駅だけはそこそこ綺麗になっている。
 確かに「ここまで来る」人が殆どと言っていいほど居なかったと言うのを示すものではないかと思うが、それにしても「何でこうなったのだろう?」と言うことを考えざるを得ない。石炭産業の衰退、それをカバーするために「観光客を呼び込もう」と言う選択になったと思うのだが、今となっては確かに「観光」と言う選択が正しかったのか?と思う部分はある。しかし、その「正当性」と言うとそれは本当に判断できないような気がする。

 夕張駅から少し戻った「清水沢」駅。この駅にはその昔は側線が多くあり、石炭を積んだ貨車が多く行き交っていたという。今ではその線路は草の下に埋もれている。そこから離れた所にある南大夕張には

かつてこの地に走っていた三菱石炭鉱業夕張鉄道線の客車と三菱鉱業バスが展示されている。さらに国道452号線を奥に進むと

大夕張森林鉄道夕張岳線で使われていた三弦橋やその路線の跡もまだ見ることができる。

「石炭」から「石油」、そして原子力へとエネルギーが切り替わったからと言うのは確かに言えるし、生産のコストの関係で衰退したと言うのも確かに分かる。だが、そこには「暮らし」があった。その「色んな人の暮らし」があってこそ今の自分達の「くらし」と言うものがあるのは当然の話。
車両にしてもまちなみにしても、外部の人間は色々と好き勝手な事は言えるのかもしれない。だが、その「外部の人間」と言うのは「その現場の人の事」を全く知らない。だからこそ「好き勝手なこと」が言える、そんな気がしてならない。

夕張というまちを今回訪ねてみて、感じたのは「外部の視点」と言うもの「いい加減さ」と言うものであった。
確かに「外部の視点」と言うものはいろんな面において重要なのはわかるし、自分も仕事柄「外部の視点」で色々と話しをしないとならない。だが、そこに隠れている大切なこと〜「実際にやるのは誰なのか?」〜と言う視点を見失ってはならない、そう強く思う夕張訪問であった。