静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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「浜松では初音ミクは出てこなかった。」の真意考察。

 先日のシンポジウム、本当に色々と刺激的でした。
 作品に対する「愛」の話、著作権に関する話、それこそ書こうと思えば色々と出てくるのですが、その中で一番個人的に「考えさせられた」話について書いておこうと思います。それは基調講演3本目の桧森先生の講演の中に出てきたこの言葉でした。

「浜松には真面目な技術者が多い。浜松からVocaloidは出てきたけど、浜松では初音ミクは出てこなかった。」

 深いです。余りに深すぎます。
 と言うか、この言葉の真意を捉える事が出来れば今の浜松市どころか静岡県の産業全体が抱える諸問題の解決に繋がるのではないか?と思うのです。少し、自分なりにまとめ直してみると・・・

 ・浜松の持っているポテンシャルは高い。それ故にVocaloid技術が生まれることができた。
 ・しかしながら、その「パッケージング」は出来なかった。
 ・それ故に、ヤマハ本体での商品化が遅れてしまった。

 と言う構成になるのかと思います。この中でどこが問題なのかと言えば「パッケージングが出来なかった」と言うものになってきます。パッケージングと言われると、商品包装とかそこらへんの話になってくるのかもしれませんが、個人的には「エンドユーザーが誰になるのか」と言うこと、そして、その「エンドユーザーにどのように訴求していくのか」と言う「マーケティング」的な話も含めての「パッケージング」と言うように考えて頂ければ、と思います。
  確かにマーケティングは重要な話なんですよね。どんなエンドユーザーに使って欲しいのかと言う事によって同じ技術であってもパッケージングを変える事は他の商品でもありますし、その部分を誤ると折角の商品であっても上手く売る事ができない、すなわち、「技術を広めることができない」ことになって来ます。それはそれで確かに企業にとっては大きな損失になってしまうものでしょう。

 ただ、個人的にはこの話は「単純にマーケティングの話では無い」と思う所があるのです。
 その背景にあるのは「技術と付加価値の関係をどう考えて行くのか?」と言うもっと大きな問題だと思うのです。

 企業の方には失礼な言い方になるのかもしれませんが、「こんな古い工場なのに、そんなトンデモナイものの製品を作っているのかよ!」と驚かされた事が何回もあります(具体的には書けませんが、最終的な製品としては皆さん良くご存知のものになっていることが多いです)。ただ、見方を変えれば「元請から図面を渡されて、それを作るだけ」と言うような辛辣な言い方も出来てしまうのは悔しい部分であるのですが。
 ただ単に「技術」を誇るのではなく、その「技術」をどのように広めていくのかと言うビジョンと言うものが実は欠落していると言うような気がします。言い方は悪いですが「ウチの工場は◯◯の技術ならどこにも負けない」と言うように言っているだけなのが現状なのではないでしょうか。その技術をどうやって広めていくのか、広めていくのにはどのような付加価値が必要なのかと言う観点が必要なのかと思います。

 色んな考え方があります。
 自分のこの考えも「違う」と思われる方もいらっしゃるかとは思いますし、「何も知らない人間がdisってんじゃねぇよ」って言うように思われる方もいらっしゃると思います。別にdisるつもりは毛頭ありませんし、むしろ大いにrespectするところです。

 ただ、問題・・・と言うか気になるのは「技術」そのものを売っているだけではこれから先立ちいかなくなると言う所であると同時に、その「技術」をどうやって外に広げていくのか?と言う全体のVisionなのではないでしょうか。その「全体のVisionを【付加価値】と言う観点から考えていくことが必要である」、と言う問題提起が

「浜松には真面目な技術者が多い。浜松からVocaloidは出てきたけど、浜松では初音ミクは出てこなかった。」
 と言う言葉に収斂されているのではないのかな、と思うところです。