静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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関西と言う地域の社会性

 関東で言う所の関西人のイメージとは、以前このblogでも紹介したような静岡県のオレオレ詐欺防止TVCMのようなものに収斂されており、決して全ての関西の人がそうであるとは言わないですし、大阪と神戸、京都は全く違いますが、やはり「せっかち」とか「口やかましい」「金の事になると意地汚い」と言うような感じで取られてしまうのではないでしょうか。言い方は非常に悪いですが。
 ですが、それらのイメージの根源を考えると政治の中心地である東京に対する対抗意識にあると思います。虚飾を排し、現実を真っ直ぐに見据えて生きて行かなくてはならないと言う歴史の中で必然的に身に付いた社会性であると思いますし、それが無ければ今日の大阪の存在は無かったのではないかと思います。自分自身も大阪のそのアグレッシブな所は大好きですし、大阪に行った事によって自分も変わったなぁと思う所もありますので。
 その中で、いわば現実的な価値観の中で「様々な物事を見る目」と言うのが養われていると思います。何かを買うときに「おっちゃん、まけてくれへん?」「・・・この位でどう?」「あと一声」「ほな、これでどうです?」って言うやりとりも、その「物事を見る目」がその根底にあるのではないかと思います。
 その中で、当然ですが通勤における鉄道会社の選択もあるのではないでしょうか。流石に料金値下げと言うのは難しいかもしれませんが、阪急はJRに負けないような施策を展開すれば、JRはJRで新しい施策を展開する。確かに資本主義経済の中では望ましい競合の姿でありますし、その競合によって恩恵を受けるのは普通の人々です。そう考えると、確かに関西経済は低調であるとは言われているものの、その地域が持っているポテンシャルは高いものがあると思います。