静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

浜松市における地域産業の現状〜産業集積と地域経済環境〜(3)

 当市における代表的な産業は「輸送機器製造業」であるが、日本を代表する自動車メーカーであるトヨタ自動車・スズキ自動車、ホンダ、そして二輪車のメーカーであるヤマハ発動機各社のルーツはこの浜松地域にある。
 東海道線が開業した明治22年以降、急激に「遠州織物」の需要は高まったが、この需要に対応するために2つの方式の力織機が誕生した。染色する前の白い綿糸を織り上げる「鋳混製動力織機」を豊田佐吉が、染色した綿糸を織り上げる「鈴木式織機」を鈴木道雄が開発した。先に染色するか、後に染色するかの違いはあるが、何れにしても当時の浜松地域における「力織機」への需要が高くなっていたかが分かるケースである。現在のトヨタ自動車とスズキ自動車の関係と同様にお互いに競合するかのような製品を作っているものの、実態としては市場は重なってないと言う点を見ると非常に興味深いものである。
 浜松地域における第二次世界大戦前の産業は「民生用」のものであったが、昭和13年に出された民生用綿製品の販売禁止命令や、戦時中の楽器製造はの命令によって、これらの製品を製造することは禁止された。
 このような中でトヨタ自動車や鈴木式織機はもちろんのこと、ピアノやオルガンを製造していた日本楽器製造はその木工技術を活かして戦闘機の金属プロペラや砲弾などの製造に転身せざるを得なくなった。民間事業者の自主性という観点から見た場合には、各事業者の自主性が失われる結果となったが、戦時統制経済の中においても確実に技術力を高める結果となった。
 戦後である昭和21年には本田宗一郎が「ポンポン」と言われる自転車に小型エンジンを載せた乗り物を開発し、これに刺激された鈴木式織機は昭和26年、日本楽器製造は昭和29年には日本楽器製造もオートバイの生産を開始し、翌30年にはヤマハ発動機株式会社を設立した。