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浜松市における地域産業の現状〜産業集積と地域経済環境〜(5)

 今まで浜松地域における各種産業の成立を駆け足で見てきた。では、何故このような産業が浜松地域で成立してきたかを見てみる事にしたい。
 浜松の産業集積を見る場合で非常の特徴的なのは「企業間の非公式な繋がり」が多くあると言う点である。例えば戦前に立地した「鉄道院浜松工場」。鉄道が「技術集約型装置産業」であることを勘案すると、地元の優秀な技術者の卵たちがここで多くの技術を学び、鉄道院を退職して地元の企業にスピンアウトした時にその「集約された技術」が地域の中に広がっていく。また、その横の繋がりも同時に発生することによって「技術伝播のネットワーク」が成立する。
 また、その技術や企業経営を後方から支援する「各種支援機関」の存在も見逃すことができない。金融機関としての「資産金貸付所」(現在の静岡銀行の前身)設立(明治8年)、企業などのネットワーク形成のコアとしての「浜松商業会議所」の成立(明治27年)、技術者養成の「浜松工業学校」( 現:静岡県立浜松工業高等学校) 設立(大正7年)、「国立浜松高等工業学校」( 現: 静岡大学工学部)設立(大正11年)、研究機関としての「(静岡) 県立工業試験場浜松分場」設立(明治39年) というように、産官学の各種支援機関が大正期までに既に成立していたと言うのは特記すべきところである。
 現在、国内各都道府県では「産業集積」を新たに形成すべく各種施策の立案・実行を行なっているが、この浜松モデルを県内に持つ静岡県においても新規の産業集積を「意図的に」形成することは非常に困難なものであり、一部では「浜松のケースは特別なものである」との意見もある。では、何故浜松でこれだけの産業集積が形成されたのであろうか。