静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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3/16 のぞみ329号(0)/乗車前

平成24年3月16日。東海道新幹線、新大阪駅13:30。
20年前に「のぞみ」と言う名の「ミライ」を連れてきたその車両は、「キノウ」になった。

幾多の人をその車両に乗せ、幾多の想いをその車両に乗せ、東京博多間を走ってきた。
自分も何回となくこの車両に乗ってきた。出張のビジネスマンとして、行楽客として、用務客として、そして、車内販売の従業員(アルバイト)として。

普段だったら「最終運行」の列車には全く興味が無い。
だが、この車両だけはどうしても乗っておきたかった。自分の中にある「色んなキノウ」をもう一度思い起こすために、そして、その「キノウ」にお別れを告げるためにも。


 平成24年3月16日、午前10時を少し回った頃。
 清水から「駿府ライナー2号」と田園都市線半蔵門線、銀座線、丸ノ内線を乗り継いで東京駅までやってきた。入線まではまだ時間があるものの、既18番線ホーム上には多くの見送り客なのか乗客なのか判別はし難いものの、多くのお客さんが「のぞみ329号」の入線を待ち構えていた。そう、この日は「300系新幹線」の最終運行日であり、その「300系新幹線」が最後の最後に「のぞみ」号として運行されるのであり、自分もその「のぞみ329号」に乗るために東京駅までやってきたのである。

 大学に入った年(1992年)にデビューをし、以来20年間を東海道・山陽新幹線でこの300系は運行していた。最初はのぞみ号として、700系が増えてきた頃にはひかり号として、N700系が出てきた頃にはこだま号として運用に入っていた。今の会社に入ってから、県内出張で新幹線を多く使うようになったが、その頃に300系が来ると正直なんともいえなガッカリ感を感じるものがあったし、むしろ700系やN700系を使うことが確かに多くなった。しかし、そうは言っても自分の中で「何度も乗った」のはこの300系車両である。

 学生のころのバイト先はこの新幹線の車内販売であったため、300系には「乗客」ではなく「乗務員」として乗った印象の方が強くある。博多行最終「のぞみ27号」7号車のサービスコーナーで店番をやったこともあれば、台風で大幅に遅れてきた広島行最終「のぞみ29号」で新大阪を午前3時頃出発し、ほぼ一睡もせずに車内折返で広島始発「のぞみ2号」に乗務したこともあった。
 東海道新幹線での300系乗務と言えば、博多からの「のぞみ6号」を新大阪で降車すること無く東京まで向かい、そのまま東京駅で降りずに新大阪まで戻ったこともあれば、夏の暑い最中にアイスクリームだけを販売し、車内の在庫を売り切って「後先を考えろ」と怒られたこともあった。朝の「ひかり205号」でコーヒーの補充に追われたこともあった。

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 静岡民として、この3月16日は「どれに乗るか」本当に悩まされた。
 この300系新幹線もそうであるが、沼津から新宿を結ぶ特急「あさぎり」号もこの日で運転最終日。「あさぎり」号も、ホームライナー号と組み合わせて何回も乗った。そして、静岡発東京行の直通普通列車も最終日。

 だが、結局は300系を選んだ。
 乗って、あの頃を思い出したい。そして、別れを告げたい、そう思う部分からであった。